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鳩山邦夫への債務を踏み倒した大仁田厚の国会議員実績と現在

こんにちは。

大仁田厚といえば電流爆破マッチなど激しいプロレスで人気を博したレスラーですが、2001年の参議院選で「小泉チルドレン」として当選したプロレスラー議員としても有名です。

そんな大仁田厚氏ですが、 2016年6月21日に急逝した鳩山邦夫氏への約2000万円の債務を踏み倒したというスキャンダルで話題になっています。今回はそんな元参議院議員大仁田厚国会議員としての実績と彼の現在について書いていきたいと思います。

 

大仁田厚が踏み倒した故鳩山邦夫氏への債務とは

大仁田が鳩山氏に債務を負ったきっかけは2010年の長崎県知事選への出馬と言われています。大仁田は選挙資金獲得のため銀行から1700万円の借り入れを行いました。その時の約束手形の保証人が鳩山氏の母でした。

そして大仁田がこの選挙で落選したことで歯車が狂いだします。大仁田は銀行からの借金を返済することができず、保証人である邦夫氏母がそれを建て替えたため債権が鳩山家に移ったのです。その母が亡くなったことで債権は鳩山邦夫氏に移る事になります。そこで邦夫氏は手形金請求訴訟を起こしましたが、大仁田はそれに一度も出廷することはありませんでした。

業を煮やした鳩山サイドは大仁田の関係先の資産の差し押さえという行動に出出ました。それに困った大仁田は鳩山事務所に金がないことを理由に月々5万の返済を申し出ましたが、その後音信不通になります。その後も関係者への督促が続きます。追い込まれた大仁田は次の行動に出出ました。鳩山邦夫氏の元に直接出向き「100万で許してください」と泣きながら土下座をし許しを乞うたのです。しかしその100万円の返済もなく大仁田はまた音信不通となりました。約束手形問題がほとんど解決しない中鳩山邦夫氏は急逝し、鳩山氏の相続人に引き継がれ、今回のスキャンダルにつながりました。

大仁田厚は国会でもプロレスラーだった

そんな大仁田ですが、国会議員としての実績はどうだったのか今一度振り返ってみたいと思います。

今思うと大仁田厚は国会でも政治家大仁田厚ではなくプロレスラー大仁田厚だったのではないでしょうか。

それは彼の立候補時の選挙公約からも見て取れます。2001年、構造改革を争点に当時の首相小泉純一郎は「自民党を変える、日本を変える」というスローガンを掲げ「自民党をぶっ潰す」と主張しました。その結果大きく票を伸ばし片山さつき杉村太蔵などの多くの小泉チルドレンを生みました。大仁田厚もそのうちの一人である。その参院選大仁田厚有権者に訴えた選挙公約は「猪木と戦う」つまりは「猪木をぶっ潰す」です。多くの小泉チルドレンが「自民党をぶっ潰す」方向に目を向けている中、大仁田の目は猪木に向いていたのです。

当選後も大仁田のパフォーマンスは止まりません。2003年のイラク特措法案の強行採決では護衛薬として当時自由党森裕子議員に髪をつかまれたうえに頭を殴られました。それに対して大仁田はマスコミを通じ森議員への抗議のマイクパフォーマンスをします。また、軽率な発言が問題となった杉村太蔵議員に対し、自ら教育係に立候補するというパフォーマンスも行います。しかしこのパフォーマンスは党にも杉村太蔵議員本人にも無視されたため、大仁田は当時の党幹事長武部勤に抗議文を出す、杉村氏の事務所に突撃するなど、様々な手法を使って杉村議員、武部幹事長に対してパフォーマンスを行います。

これら一連の行動をパフォーマンスではとマスコミに問われた大仁田は「パフォーマンスして何が悪い」と言い切りました。

今思うと国会議員大仁田厚は、国政の場でもただの国会議員ギミックのプロレスラーだったのではと思えて仕方ありません。

大仁田厚の現在は

2007年大仁田はスキャンダルが発覚し国会議員を引退しました。その二か月後ニンテンドーDSソフト【いつでもどこでも 大仁田厚の政治クイズDS】を発売しています。見上げた根性です。2010年には今回のスキャンダルの発端となった長崎県知事選に出馬するも3位となり落選。2015年には袖ケ浦市長選挙に立候補を検討していることを表明するも、その出馬を取りやめています。最近では鳩山邦夫氏の急逝を受け、「可愛がってもらった、非常にお世話になった」と感謝の念を述べています。

そんな大仁田厚ですが今でもリングに上がり続けています。現在も超花火プロレスなど電流爆破プロレスラーとして活躍し続けています。今後も大仁田選手の活躍に期待です!